2007年11月10日土曜日

25歳

 昨日は25歳の誕生日だった。
 25は5の二乗という凄い数字なので、特別な一年になるのではないかと思う。
 と、例年通りに言ってみた。何年目だこのネタ。
 
 
 研究室の皆様がプレゼントをくれた。
 小学生の頃から同じ腕時計を使ってるおまえは駄目な奴だ、ということで腕時計を見繕ってくれたらしい。しかもロレックスのだ。
 僕としてはGショックのゴムバンドが腕に馴染んで軽いし良いのだが、ロレックスの腕時計と聞いてはやはり嬉しい。

 うん、でも、
 
 
 

ちょっとでかすぎるかな。



 腕時計というより盾。嵌められません。
 仕方ないので腰にまいてみた。
 
 


 問題は盤面が見えないということかもしれん。
 
 
 
 
 それと、服も貰った。
 ビジネスカジュアルがなくて着る服ないよどうしよーと言っていたので、ビジネスカジュアルを軸にチョイスしてくれたらしい。
 
 

ビジネスカジュアル。


 
 非常にやる気のない「びじねすかじゅある」の文字が印象的でした。
 
 
 そんなこんなで25であります。歳食ったなぁ。

2007年11月5日月曜日

疑疑疑

 近頃、吹き替えとか翻訳に伴うノイズの混入ってどうなのかな~と考え中。

 一昨日くらいだったか、外国のドキュメンタリー番組で、アスペルガー症候群の男の子の話がやってたんだけどもね。
 その男の子の語りも、彼を嫌うクラスメイトの語りも、日本語吹き替えだったのよ。

 で、画面に映った表情だけを見てると、彼らはそんなに抑揚なく喋ってる風に見える。でも目を瞑って声音を聞いてみると、声色は、沈んだ風だったりつっけんどんになってたり、緩急がついているわけだ。
 日本語の裏で聞こえる地声の方の抑揚にも、耳を済ませてみた。もちろん母国語が違うので僕はその声音の表情っていうのを正確に推し量ることはできないんだが、吹き替えされているそれに比べて、だいぶ控えめなような気がした。

 この子の喋っている声が含んでいるものと、テレビの吹き替え音声が含んでいるものの間には、どれくらいの距離があるんだろうなと。
 視聴者はこの子の意見を聞いているように見えて、吹き替えを喋っている人が意図した意見、を聞いているのに過ぎないのかもな、と。

 ぼーっと見てると、『ああ患者の男の子大変だなぁ』とか『クラスメイトがつい嫌ってしまうという気持ちもわかるなぁ』という感想を抱くのだけど。
 例えばこれが日本のもので、声の演技のプロが喋るのではなく、地の声でそのまま報道されていたら、『悲劇ぶってて甘いなぁ』とか『こうやって差別する子供の親とかどんな教育してんだ』とか、そういう感想になってたかもしらん。


 声だけでなく、字でもそうだ。文っていうのは表情を持っているから。
 韓国とか中国とか関連の話題のときに、よく思う。ええー、なんかみんなケンカ腰になってるけど、日本語翻訳の文末の印象とか言葉の使い方の印象をそのまま真に受けてカッカしてんのって浅はかじゃねー? とか。
 その翻訳は正しくその文の表情を表しているのか、まず疑ってみねー? と。翻訳した雑誌とかテレビ局が過剰演出してる可能性結構あるよ? と。
 
 
 人間、公正であるためには、そうやって、なんでもまず疑ってみることが必要なのだと思う。面倒くさいけれども。
 だから僕はなんでもまず疑ってみることにしている。

 ところで、僕が千葉県生まれの庶民の出自だというのは実は真実ではなく、本当はイギリスあたりの貴族の生まれではなかろうか。