2008年12月4日木曜日

「非常時に何かあったら、どうするんですか?」

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1197502.html
橋下知事の“携帯持ち込み禁止”に女児が反論…「非常時に何かあったら、どうするんですか?」


 うーん、気持ち悪い。

「非常時に何かあったら、どうするんですか?」

 省かれた日本語を補うと、
「非常時にもし何かあったら、どうするんですか?」

 くだけた日本語を直すと、
「非常時にもし何か起こったら、どうするんですか?」


 僕としては、非常時には"既に何かが起こってる"と思う。特に何も起こってないのは、平常時、だ。平常には起こりえない何かが起こっていることをして、"非常時"と言うんじゃないか。
 だから「非常時に何かあったら」は重複だ。
「非常時には、どうするんですか?」あるいは「何かあったら、どうするんですか?」でいいと思ったのだが……。


 もしかしたら、この子の中では、"何も起こっていない非常時"というのがあるのかもしれない。
 つまり、僕たちが平常時と認識しているような状態さえ、彼女にとっては、

「いいえ、今このときが非常時なのよ。平和ボケしたあなたたちには、平常に見えているのかもしれないけどね…」

 と言いたくなるものであるのかもしれない。

 平常という色彩に溶け込んだ非常時。
 あからさまな非日常より組しにくい、日常に紛れた怪物。

 それをわかった上で彼女は、
「この日常という非常時下に、さらにもし何かが起こったら、そのときどうするんですか?」
 と問うているのだ。


 小学生とは思えない、実に含蓄深い言葉だったのである。

2008年11月13日木曜日

ロマンスの神様

 ipodに広瀬香美の「ロマンスの神様」が入っていて、聴くともなく聴いていたら、ふと気になった。

 

 目立つには どうしたらいいの 一番の悩み
 性格良ければいい そんなの嘘だと 思いませんか?


 これ、
「相手の(男の)性格が良ければそれでいいなんて嘘! やっぱり顔とか給料とかも良くなくちゃ!」
 みたいな意味でとっていた。

 でもちょっと考えると、話の流れがヘンだ。
「目立つにはどうしたらいいのだろうか。それが私の一番の悩みだ」と、初めの文では自分の内側に焦点があっている。
 でも次の文では、「相手の性格が良ければいい。そんなの嘘だと思いませんか?」と、いきなり相手に焦点がいってしまっている。
 つまり話が飛んでいるのだ。

 

 目立つには どうしたらいいの 一番の悩み
 おでんにはこんにゃくがいい そんなの嘘だと 思いませんか?

 
 これと殆ど同じなのだ。
 2つの文の間に、脈絡がない。

 おかしいなぁと思った。
 でも、ひょっとしたら、受け取り方が違っているのかもしれないと思い、考えてみた。
 すると、納得のいく解釈がちゃんとみつかった。
 結論から言えば、この「性格良ければいい そんなの嘘だと 思いませんか?」は、「相手の性格が良ければそれでいいなんて嘘! やっぱり顔とか給料とかも良くなくちゃ!」の意ではない。
 1文目と2文目の間の文脈を読むことによって、それが明らかになる。




1文目 : 目立つにはどうしたらいいのかが私の一番の悩みだ。

          ↓

(目立つにはどうしたらいいんだろう。深刻な悩みだ。ああ、本当に目立つにはどうすればいいんだろう。目立つためなら、なんだってするのに。)

          ↓

(ええ、目立つためなら、どんなことだってする。裏切りや強請り程度のことくらい、平気でしてみせる。それくらいの覚悟は必要。だってそれくらいしなくちゃこの世の中、欲しいものなんてなんて手に入らない。死んだおばあちゃんは、誠実に生きていればいつかきっと報われるのよって言っていたけど、でも、)

          ↓

2文目 : 性格良ければいい。そんなの嘘だと 思いませんか?

 


 こうなのだ。
 つまりこの部分は、
「相手の性格が良ければいいなんて嘘」
 という意味ではなくて、
「自分の性格が良ければいいなんて嘘。もっと汚く生きなきゃ」
 という意味だったのである。

 こう考えて見てみると、2番の「幸せになれるものならば 友情より愛情」という歌詞もなかなか意味深だ。これはつまり、主人公の、「友人を裏切り冷徹な罠に嵌めてまで恋人を獲得してやろう」という心意気を表していたわけだ。

 絶対神「ロマンスの神様」に傾倒し、狂っていく一人の女の姿。

 この歌が歌っていたのは、実はそんなものだったのである。

2008年11月9日日曜日

2と13の最小公倍数

 2と13の最小公倍数になりました。
 26は二乗して回文数となる最小の非回文数。つまり、 26^2 = 676なので、凄いと思います。
 頑張りたいです。

2008年9月20日土曜日

横断歩道

 子供の頃、「道路を横断するときは、右を見て左を見てまた右を見てから渡りましょう」って言われた。
 右を見て左を見るまではわかるが、どうしてまた右を見るのか。
 気になったので尋ねてみると、左から来る車を見ている間に、また右から車が来るかもしれないとのこと。
 でも、そうして右を見ているうちに、また左から車が来るかもしれないではないか、と僕は思った。右を見て左を見て右を見たのち、また左を見なければならない。でもそうやって左を見ているうちに右から車が来るかもしれないので、また右を見て、左を見て、さらに右を見左見て、またまた右を見つつ左を見て……永遠に道路を渡れなくなるのではないか。幼き僕は怯えたものだ。道路を渡るのはギャンブルなのだ。常に死ぬ覚悟をもって臨まなければならない。

 しかし、ちょっと考えてみた。

 まず最初に右を見るときに、かかる時間をR秒とする。
 そして次に左を見るときにかかる時間をL秒としよう。
 横断する道路から一定距離の区間に、自動車が進入してくる。その頻度を、A(台/秒)とおく。

 ここでまず、「右を見て左を見て渡る」を考える。
 この場合、以下のような流れになることがわかる。

 1. 右を見て車のないことを確認する(所要時間R秒)
 2. 左を見て車のないことを確認する(所要時間L秒), この際、右の道にはAL台の車が進入してきている。
 3. 横断する。

 この場合の危険性の指標をALとする。


 次に、「右を見て左を見てまた右を見てから渡りましょう」を考える。この場合、こうだ。

 1. 右を見て車のないことを確認する(所要時間R秒)
 2. 左を見て車のないことを確認する(所要時間L秒), この際、右の道にはAL台の車が進入してきている。
 3. 右を見て車のないことを確認する(所要時間R'秒), この確認により2の危険性ALは無視される。代わって、左の道からAR'の車が進入してきている。
 4. 横断する。

 この場合の危険性の指標はAR'である。


 ここで、 AL>AR' が言えれば、「右を見て左を見てまた右を見てから渡りましょう」は合理的であると言えることになる。
 そして、これは言えると思われる。
 初回に道路を確認するときにかかる時間Rと、二度目に道路を確認するときにかかる時間R'の間には、差があるだろうからだ。
 初回の場合、道路の形状や周囲の風景把握、動く人、物……処理する情報が多い。しかし直後の二度目の場合、脳がそれらの情報を織り込み済みで処理してくれるはずである。情報処理をやる人は、JPEG圧縮を考えればわかりやすい。JPEG画像では個々のピクセルの情報をそのまま保存するのではなく、隣接するピクセルとの「差分」のみ記録することで、情報の圧縮を果たしている。人間の脳内での処理も、一から情報を検分するのと、そこからの差分のみ把握するのとでは、処理時間が異なってくるのではないか。R>R' なのだ。
 よって、RとLに大きな差がある場合は別だが、そうでなければ、R≒L>R' よりAL>AR'が言える。
 つまり「右を見て左を見て渡る」より、「右を見て左を見てまた右を見てから渡る」の方が、危険の度合いが少ないのである。

 人間の脳の機構、情報処理……そんなことまで考え尽くされ、右を見て左を見てまた右を見てから渡るという教育が為されていたのだ。

 道路のおばさん達は凄かったのだ、実は超エリートだったに違いない。

2008年5月17日土曜日

近況

 長らく放置しています。いま製造実習で茨城に来ていて、ネット接続環境がなっしんです。
 教育担当では「実際の現場を体験することで会社の業務について理解を深め現場で工夫されている(略」といった理念を掲げているけども、実際の現場では怪我されちゃまずいからあれさせられないしこれさせられないしやってもらう仕事ないなぁと困っているのがまるわかり、これが社会ってものだよなぁと、ぼんやり思いつつのらりくらり過ごす。

 そうこうしているうちに50万ヒット越えました。おめでとう俺。ありがとう俺。40万から随分経っているけど。
 ここんとこ閑古鳥が鳴いているので、60万ヒットに到達するには十数年かかりそうだ。

 ページが文字化けしていて見られないって声を貰ったのだけど、原因わからない(´・ω・`) 俺の環境からは見えるのだけど。フラッシュとかいろいろ入れてるせいかな。
 ……とここにリプライしても文字化けてて見られない気がする。


 わりと人間性って見抜かれるものだなぁとこのごろ思う。
 傍観者気質と、必要な場になればそこそこそつなくこなすタイプ、っていうのをよく言われる。
 命がけで無難に生きる、が座右の銘だから。

2008年4月21日月曜日

5Sと4M

 研修を受けていて、"5S"という言葉を学んだ。各職場において徹底されるべき事項で、「整理・整頓・清掃・清潔・躾」の5項目を指すらしい。

 さらに研修が続き、"4M"という言葉を学んだ。「人(Man)、機械(Machine)、材料(Material)、方法(Method)」という生産の4要素を指すらしい。

 5Sに4Mか。
 
 
 S-M
 S-M
 S-M
 S-M
 S
 
 ペア組むとSが一人余っちゃうね。
 
 
 S-M
 S-M
 S-M
 S-ドM-S

 これでいいか。

2008年4月5日土曜日

ただいまでございます

 入社して、今は寮で生活をしている。
 そこで、ちょっと、困っている。
 研修を終えて帰ってくる。ネクタイを緩めながら玄関の戸を開けると、すぐそこには管理人さんの部屋がある。管理人さんがいれば当然挨拶をする。
 この挨拶でなんと言えばいいのか、大変困っているのだ。
「おかえり」は多様性のある言葉だ。フランクに「おかえり」。少し行儀良く「おかえりなさい」。より丁寧にしたければ「おかえりなさいませ」。迎える側の挨拶は、そこから適切なものを選べばよい。
 だが「ただいま」は「ただいま」だけだ。「ただいまなさい」はないし、「ただいまなさいませ」もない。一般的な丁寧口調であるですますを付けて「ただいまです」「ただいまます」、前者はないこともないかもしれないがやはりおかしい。言い回しの幅がない。関係にぴったりとなかなか合わない。
 二回り以上歳の離れた相手へ向かって「ただいま」は馴れ馴れしすぎるよなあ、と思い、とりあえずは「こんばんは」としているのだが、"帰ってきた"という状況特性からいって適切な言い回しとは言い難く、口にしていて凄く違和感がある。正しく発声をするのが嫌になり、結局濁ったような挨拶で逃げるはめに。
 適切な言葉が使えないというのはストレスが溜まる。

2008年3月31日月曜日

学生生活最後の日

 今日は学生生活最後の日。

 いろいろなことがあったなぁ。

 一年生から二年生になったり。
 二年生から三年生になったり。
 三年生からまた三年生になったり。
 三年生から四年生になったり、四年生から一年生になったり、一年生から二年生になったりした。

 そのくらいかな。


 そんな日々も今日で終わりで、明日から僕は立派な社会の歯車になります。
 きちんと動いているようにみせかけて、実は他の歯車とまったく噛みあっていず、なぜかその場で自走しているだけの、取り除いても全然関係なく全体が動くような、そんな歯車に私はなりたい。


 たぶん慣れるまで鬱な文章ばかり出てくるような気がしますがお気になさらずに。
 新しい環境に入った初めのうちの僕はほぼ例外なく死んでいる。

2008年3月28日金曜日

卒業式

 一昨日は卒業式でした。
スピーチというのは情報量のたいして無いことを如何に長く薄く引き伸ばして語れるかなんだなあ、とぼんやり思いつつ告辞や祝辞や謝辞や送辞を聞いてきました。
あんまり長いスピーチは良くないよ。
壇上に座っている御来賓の方々、そのままぽっくり逝っちゃいそうじゃないか!

そんなこんなで4月から社会人。
のらりくらりと生きていきたいな、と。

2008年3月23日日曜日

追いコン

 今日は研究室の追いコンで追い出されてきたのだが、よく考えると、追いコンというのはツンデレだ。
 だって普通に考えれば、名称は、"送り出し"コンパくらいだろう。去り行く人を見送るためにわざわざ催される儀式なんだから。
 それなのにわざわざ、"追い出し"コンパ。

「べ、別に祝福して送り出すわけなんかじゃないんだからね! 邪魔だから追い出すだけなんだから! 勘違いしないでよね!」

 こんな感じの意味合いが込められているに違いない。

 ツンデレだなぁ。

2008年3月13日木曜日

タイ旅行

 卒業旅行に行ってきた。
 去年高校の友達と一緒に卒業旅行で韓国に行ったのだが、俺は一留でズレてしまってるので、実際には『(あと一年で)卒業旅行』だった。今回はきちんと普通に自分の卒業旅行ということで、研究室の奴らと一緒にタイへ行ってきた。とはいえ卒業できなかった人もいるので、実際には半分ほど『卒業(するはずだった)旅行』だったのだが、とりあえず括弧の中は省略して卒業旅行とする。
 いきなりブラックジョークから入ってみた。
 特に後悔はしていない。


 タイは常夏ワンダーランド。年中日本の真夏より暑いくらい。日本との時差は2時間。飯は辛いか酸っぱいか。
 成田から約6時間のフライト。飛行機の中で恋空を見て、プギャーしながらバンコク空港へ飛ぶ。なお恋空に関する反応の指標は以下の通りだ。

 スイーツ寄り:感動の涙を流しながら観る
 一般人:まぁこんなもんか、と思いながら観る
 オタク寄り:ツッコミポイントで余さずツッコミを入れて笑いながら観る

 僕はもちろんツッコミを楽しむ映画だと思いながら観た。特に呼吸が止まりそうな彼氏に携帯のテレビ電話中継しながら走る彼女の姿には涙が出た。お願い、瀕死で可及的速やかに医者の処置が必要な患者の前ではなるべく電波を発信する機器は消して。
 こういうのは皆でツッコミを入れながら楽しむパーティゲーム的な映画だと思っているんですが、駄目ですか。


 そうこうしているうちにバンコクに到着。
 ホテルはロビーがまあまあ綺麗でおおーとなって、受付で日本語が普通に通じておおーとなって、部屋に入ってがっくりとなった。匂いがお篭もりに。前の客のスナック菓子の空き袋がお転がりに。他の部屋では空調が壊れてるとかセーフティボックスが使えないなど続々報告。HISクオリティ。



ホテル提供の写真で部屋の良さを見極められると思う人間は愚人である。(古い諺)



 夜中に着いたので一眠りして、翌日朝から観光した。
 留学生のチョウさんが案内してくれるのでおんぶにだっこだ。そもそも今回行き先をタイに決めたのも、研究室に留学生がいたからである。
 ワットポー、ワットアルン、王宮なんかを見て回る。仏様関係の場所では、靴を脱いで裸足になる必要があるらしい。タイは日本と同じく仏教であるが、建物がやたらと派手で日本のものとは雰囲気が違う。わびさびという言葉は通じるだろうかと、悶々としながら寺を巡った。



サガットステージ



 バンコクの街では、そこら中に露天や屋台があって、謎の置物を売っていたり、謎の食べ物を売っていたりする。街中に匂いが溢れていて、屋台や食堂の横を通るたび鼻に強く匂う。特に始終漂っているのが、たぶん米の匂い。日本の米と違う、独特の香りが充満している。気温や湿度の関係もあるかもしれない。他の国では感じなかった、"匂い"の感覚をやたら強く感じた。
 嗅覚としての匂いだけでなく、途上国ゆえか、急発展していく都市の匂いとでも言うべきものも感じた。
 日本進出の高級デパートが林立する一方、近くの道で小さな子供が物乞いをしていたりする。綺麗な外装のホテルや背の高いビルと、雑然とした市場や整備されない道が同居する。
 もっと開発されていけば都市にも余力が出てき、過剰な貧困は救済され、古い建物や道は整備されていく――もしくは、一般からは目につかないように、隠蔽や排斥がなされていくだろう。
 野放図で剥き出しな印象に、急成長中の都市の匂いを感じ、なんとなく、面白いなぁと思った。
 
 
 バンコクを離れてプーケットへ。
 フロントでチェックアウトを頼んだ。なんか受付がトランシーバで連絡をとってもたもたしているのでぼんやり待っていたら、困った顔で「ガラスが割れている」と言われる。
 へえ、ほんとにこういうのあるんだ、と思った。どこかでまったく同じような話を聞いたことがある。調度品が壊れているから弁償しろと吹っかけてきているのだ。まぁ、このレベルのホテルじゃ仕方ないかと思う。割れたガラスの現物と称し、ビニールに入った割れたガラス片を見せられる。これで何が証明されるのかがわからない。
 まともにとりあう気もとりあう術もなかったので、HISに丸投げするつもりで適当に。とりあえず部屋だけ見せてもらうことになった。どこのガラスが壊れたと主張するつもりなのか、鏡や棚のガラスだったら向こうも結構面倒だろうなぁ、などと思いながら聞いたところ……棚の中に入っていたガラスの仕切り板が割れていた、とのこと。なるほどと納得。すぐに取り外し可能なところなのでワンタッチだ。コストのかからない詐欺である。
 とはいえ触れてもいないところの弁償などさせられても困るので、しばらくやりとりした後、旅行会社に連絡する旨告げる。すると相手は突然流暢な日本語を喋りはじめ、「大丈夫です」とのことで問題解決。ああそうか、言葉が通じないふりをしていたのだな、と感心してしまった。言葉が通じる状況下でむざむざ壊してないものの弁償する奴はいない。意思疎通が上手くいかないからこそ仕方なく金で済まそうとするもんだ。思えば僕も真っ先に、一昨日いた日本人スタッフはいないのかな、と思ったのだった。言葉が通じれば冷静に対処できるが、通じなければそうもいかない。そこらへんわかってやっている。手馴れた印象だった。
 実際、旅行会社経由じゃなかったら、どうしたものかわからなかっただろう。後ろ盾、というのは必要なものなんだな、とどうでもいいことを思った。
 

 ということでバンコクを離れプーケットへ。
 プーケットのホテルも綺麗とは言えないところだが、バンコクのよりはマシな感じ。従業員の印象も、バンコクより腹に一物持っている感じがしない……というのは単なる偏った印象でしかないが。なんだろう、開発中都市の安ホテルと、南国リゾートの安ホテルでは、サービス性のレベルでは似たようなものでも、その質は異なっているような気がする。
 またトラブルになるのはごめんなので、枕銭を忘れないようにする。やっぱりチップが置かれていたら、心理的に、そういうことはしにくくなるんじゃないかなーと。

 プーケットでは、スピードボートに乗ってピピ島へ。
 スピードボートはでかいピーナッツの種みたいなフォルムで、舳先を持ち上げて、上下に揺れながら走る。揺れ方が半端ないので、座る場所によってはかなり酔う。
 舳先の部分に座ると、風が吹き付けて凄く気持ちいい。
 



マグロ漁船連行



 浜辺に到着。海はほんとに綺麗で、膝丈くらいの深さに魚の群れが普通に泳いでいる。パンの耳を海面に漬けるとがすがすと寄ってきて、指が変な感触。ときどき噛まれる。
 ふざけて後輩を押したら簡単にひっくり返って服ごと水浸し。あんなに軽く押しただけなのに倒れるなんて、倒れる方が悪いんだよ! 勝手に死ぬ方が悪い!
 そういやタイの女性は服を着たまま海に入る。軽くドザエモンだ。
 折角だから僕もTシャツのまま海へ。というより後輩に復讐された。
 

 夜はプーケットファンタジーというテーマパーク的なところでショーを見る。
 ショーというと人が沢山踊ったりしているわけなのだが、僕には、つい主役的な役どころの人たちより、端っこで動いている人達がどうしているか見てしまうという癖がある。だって誰か見てあげないと、張り合いがないではないか。別に手を抜いていないか監視しているわけではない。以前ディズニーシーのショーを見たときは、踊り終わったトラが、舞台から出ていくときにもう誰も見ていないと思って気を抜いたのか、「ああ、だりぃだりぃ」的な足取りで掃けていくのを目撃した。なんか、そういう奴を見つけると得も言われず嬉しい気分になるので探す。全然別の楽しみをもってショーを見る僕。
 ショーの内容はよくわからないのだが、タイの創世ファンタジー的な話だった。タイの民族が敵民族と戦って、なんか象が出てきて勝った。やった。
 隣の席に座っていた留学生の友達が、色々説明してくれる。が、英語なのでなかなか理解できない。というか「今、参加者を募ってるんだよ」とか「あそこの席は空いてるけど追加料金を払って座るんだよ」とか「あれボス」とか、解説がなくてもわかることはわかるが、タイの歴史との繋がりとか物語の内容的な部分に踏み込んだところはわからない。
 うまく応えられないのが申し訳ないので話しかけないでおくれよ、と思わないでもない。きちんとわかっていないのにうんうん、と頷く自動首振り機能搭載。格好悪い日本人の典型で乗り切る。
 英語がーできないー。
 コミュニケーションをとろうと思って何か訊いても、聞き返されるとあたふたしちゃうしなぁ。相手のAnswerが欲しいのではなくて、コミュニケーションする構図を構築しようぜ、というような意識でやっているので、破綻したときにそれでもこちらの意図を伝えようという貪欲な意思が十分に湧いていないのは問題。これは日本語だろうと同じなのですががが。


 翌日は象に乗る。



キリンさんよりも好かれるところのゾウ



 昔は材木の運搬などの重労働も行っていた象なのだが、近頃では象を大事にする風潮で、あまりそういった重労働はないとのこと。やはり観光に携わる象が多いそうな。

『見知らぬ外国からやってきた人間という生き物を背中に乗せて、規定の道程をぐるぐると一日中回るお仕事です。一周するたびに水浴びOK!』

僕「多少ブラック臭がするんだけどどう思う? 毎日ルーチン作業って病むと思うんだけど。象の世界ではホワイトな方なんだろうか」
同期「知らねーよ」


 あとは寺院を巡り、カシューナッツ工場を覗いて、帰り。総括としては、濃密なスケジュールだったにも関わらず、留学生の人が現地のツアーをとってくれたのでかなり安くついた。HISのオプションで同じツアーにしようとすると、値段が倍くらいかかるのだ。
 留学生の人達と別れて帰路へ。プーケット空港で買ったワインをバンコクの空港でボッシュートされたり、バンコクの空港が広すぎて乗り継ぎに間に合わなさそうになって焦ったりと多少あったが、無事帰国。
 タイは面白い国であった。

 次は何処に行きたいかなぁ。
 なるべくトイレが綺麗な国に行きたい。

2008年3月2日日曜日

学と勉

 ふとどうでもいいことを思ったんだけど、子供に「学(まなぶ)」とか「勉(つとむ)」とかって名前をつけたら、その子は絶対不良にならないよな。というかなれないよな。
(オレ、学なのに暴走族かよ…)
 とか自己のアイデンティティが気になって。

 その代わり、分厚い眼鏡をかけなきゃいけないような気がしたり、人に対して小馬鹿にしたような態度をとらなくちゃいけないのではないかと感じたりする。大変だよね、マナブとツトム。

 ほんとにどうでもいいよね。

2008年2月1日金曜日

郷愁

 近頃、天気のいい日は大学の最寄り駅の一駅手前で下りて、歩いていく。小4くらいまでそこらへんに住んでいたせいか、なんか、街並みが落ち着くんだよな。
 以前は、故郷って言葉に実感なくて、土地とかどこだろうと別に関係ねーんじゃねーのと思ってたもんだが。
 やっぱ幼少を育ったところって、親近感あるんだろーなぁ。
 ……近頃どんどん歳を感じるようになってきた。

 ちょっと寄り道したら、小学生の頃に友達と行ったアスレチックが見えて、ぼんやり眺める。まだ営業してんのか。

 こういう懐かしの思い出ツアーは、もうちょっと歳食って、長年寄り添った妻と子供が出ていってしまったりしてから行くと、人生のやるせなさとかが滲み出て絵になるんだけど。
 俺、まだ25で、長年寄り添った妻と子供は出ていってないっていうか結婚した覚えもねーや。
 長年寄り添って出ていってくれる人募集中。

2008年1月16日水曜日

沈黙は金 雄弁は銀

『沈黙は金 雄弁は銀』という諺がある。「沈黙の方が雄弁よりも説得力がある。口をきかないことが最上の分別である」といった意味で知られている。
 合コンや初対面の人と話す場など、話題がなく沈黙していることが多い僕である。自己正当化をはかれて便利そうだなと思ったので、詳しく検索していた。
 すると、次のような記事が沢山ヒットした。

『この諺は古代ギリシアの雄弁家デモステネスが言ったのが由来で、その時代には銀の方が金よりも価値があった。つまりこの諺は、正しくは、銀である雄弁の方が価値があるといったものなのだ』

 なるほどなー、と思った。
 よく知られた諺が実は逆の意味だった。テレビの学習番組とかでありそうなネタだ。
 自己正当化はかれなくて僕涙目。

 しかしさらに検索していくと、次のような記事がヒットした。

『デモステネスが起源というのは日本だけで言われているまったく無根拠なことで、いろんな言語の諺の中で似たようなものがあるが、確認されている中で初出のものは1830年ドイツのものである。この頃はもちろん金の方が銀より価値があった。というより銀が金より価値があったのは紀元前十数世紀の一時代だけである』

 ……どっちやねん。

 ということで、ちょっと調べただけだったのに、真偽を検証するハメに。
 で、まぁ、後者の方が信憑性があると判断しました。検索で英語のWebページに"Demosthenes"と"silence is gold"が共起するものがほとんどないことと、ヨーロッパの学会の論文など。
 こういうことがあるから、他所から得た知識を披露するというのには不安があるのだ。みんな考えたり調べたりするの面倒だから、適当なソースをほいほい信用するからだ。恋人がいると幸せだとかいうあの話だって、ソースが信用ならないし、デマである可能性が大きいと思う。騙されやすいのだ世間は。まったくどうしようもないと思う。

 にしてもこの知識、仕入れても、披露するのが難しそうだよなあ。結局一般的な意味と同じなんだから、意外性がないし。
 あるとすれば、みんなで談笑してるときにふと諺の話になったりして、
「なあ、沈黙は金って諺さー。あれ、ほんとは沈黙の方がいいって意味じゃないんだぜ? 昔は銀の方が価値があったんだよな。あれは本当は雄弁の方がいいって意味なんだよ」
 とか得意げに披露する奴がいたときなんだが、
「えーそうなんだー! 知らなかったー!」
「すごーい! まったく逆になっちゃったんだねー!」
「うんうん、やっぱり雄弁の方がいいよねー!」
 とか場が盛り上がってるところで、おずおずと手をあげ、
「いやそれは実はデマなんだけど」
 とかぶっちゃけられるほど僕はKYじゃない。
 物凄く言いたい気持ちを抑えながら、盛り上がるみんなを遠巻きに見守るしかない。

 そうしてきっと、思うだろうな。

 まさに、沈黙は金。

2008年1月6日日曜日

誰でもいいから皆殺し問題

 5日午後3時20分ごろ、東京都品川区平塚の戸越銀座商店街で、両手に包丁を持った男が通行人ら5人に次々に切り付けた。男女3人はけがはなかったが、30歳と42歳の女性会社員が、それぞれ左胸と背中を切られるなどして10日間の軽傷を負い、病院に運ばれた。110番で駆け付けた警視庁荏原署員が男を取り押さえ、殺人未遂の現行犯で逮捕した。
 調べによると、男は同区に住む私立高校2年の少年(16)。「誰でもいいから皆殺しにしたかった」と供述しており、同署が動機などを調べている。淡々と、落ち着いた様子で調べに応じているという。少年は、病院の精神科に通院していた。
 少年は黒いジャンパーに黒いジーパン姿で革靴を履いており、逮捕時には両手のほか、左の靴の中にも包丁を入れていた。包丁は3本とも全長約28センチの文化包丁だった。
 少年は商店街の中や踏切などで5人に切り付けた。けがをした2人のほか、女子高生(18)がジャージーの、派遣社員の女性(28)がコートのそれぞれ背中を切られたほか、男性(61)も服を切られた。
 目撃者によると、少年は「殺してやる」と叫び、商店街を200-300メートル走りながら包丁を振り回したという。

 
 
 かなり気持ち悪い事件だ。
 特筆すべきはこの部分。

>「誰でもいいから皆殺しにしたかった」

 ……やっぱり気持ち悪い。
 
 
 二つに分けると、
 
1. 誰でもいいから殺したかった
2. 皆殺しにしたかった

 2について、皆殺しにしたいっていうことは、ある集合(ここではたとえば、“人類”とか、“商店街の人間”など)の中に含まれるすべての要素を対象に、殺したいってことだよな。つまり∀a∈{X}なるaを殺したい。
 それに対して1は、誰でもいいから殺したい、ということで、集合の中に含まれるある要素について条件なく、ってことだから、∃a∈{X}なるaを殺したい、だよな。

 つまり∃a∈{X}、∀a∈{X}を同時に満たすaを殺したいということになるんだけど、これって成り立つ? 論理学よく覚えてないんだけど。
 かなり気持ち悪い事件だ。

2008年1月1日火曜日

新年

年が明けたことがおめでたいのではなく、年が明けただけでおめでたいと感じるおまえの頭の中がおめでたいのだ。
あけましておめでとう。
 
 
 って年賀メールを送ろうかと思っているのだが友達を失くしそうな気がする。