2009年2月8日日曜日

この家は妥協だらけだ!

 このまえ、久しぶりに三谷幸喜の「みんなのいえ」を見た。
 以前見たときは、まぁ面白いけど三谷作品としては薄いなぁ、という感想だった……のだが、就職してから見ると、学生時代に見たときとは違った感覚があって良かった。

 この映画は、一件の家を建てるときに、建築家と大工の物の見方がまったく違って、意見がぶつかり合ってどんどん変な方に転がっていってしまう様を、コメディタッチで描いたもの。
 人と人が一緒に何か「作品」を作り上げるにあたって、いろんな人の勝手な意見がごっちゃごちゃになって滅茶苦茶になってしまう、ってタイプの話、三谷作品には多い。

 映画「ラヂオの時間」は、ラジオドラマという作品を作り上げるにあたって、出演者達の意見ややりたいことが食い違っていく話。
 映画「みんなのいえ」は、家という作品を作り上げるにあたって、建築家と大工が食い違っていく話。
 舞台「ショウマストゴーオン」は、演劇の舞台という作品を作り上げるにあたって、出演者達が(略
 映画「笑の大学」も、作家と検閲官の意見の食い違いで、作家の作品がどんどん変容していく。変容した滅茶苦茶な作品の方がなぜか面白くなっている、という意味で、上3つとは少しタイプが違うかもしれないけれど。

 三谷作品の映画には、沢山の人の意見で作品が滅茶苦茶になっていく様を面白おかしく描いたものが多い。その裏に、人に振り回され自分の思う通りにやれない悔しさみたいなものが滲んだりする。いいラジオドラマ、家、劇を作りたいのに、人の集団の中で、それができない。でもその中でいいものを作るぞっていう。

 以前、三谷さんのエッセイを何冊か読んだ。劇を作るとき、いろんな出演者にいい顔して機嫌をとって、それに自己嫌悪することがあったり、でも出演者皆に気持ちよく演技をしてもらうことが結局は舞台のためで、それも舞台作家としての勤めだっていうような考えがあって、なるほどなーと思った。
 テレビドラマを作ったときも、局側の人と感覚が合わずにあまり面白くない作品になってしまって、でも、テレビに潰されてしまうようじゃプロの仕事ではない、ってことが書いてあったし。

 気遣い症の三谷さんの、思うところなんだろうなぁ、と思う。
 人と関わって作品を作りあげるときのスタンスというか、プロ意識というか。


 就職してから、そこらへん昔よりわかるようになったかなぁ。他人と共同で開発とかやると。自分の意見を通して相手のモチベーションを奪ってしまってもいけないし、それぞれがそれぞれの力を発揮できるのが理想。でも気遣ってやってると、妥協の産物としかいえないどうしようもないものが出来上がる。このソフトウェアは妥協だらけだ!
 人と共同で何かを作って、妥協せずに、モチベーションも下がらずに、納得できるものが作れたら、それは凄く爽快なことなんだけれど、物凄く稀なことなんだろうなぁと。俺は煉獄作ったとき、初めて共同作業で気持ちが良かったのだ。

 大方の場合、人間関係にはある程度の妥協が必要。それが、歯がゆいんだよなぁ。

2 件のコメント:

  1. お仕事ってもんは妥協しかないといってもいいぐらいですなあ。
    いい仕事をしたなあ、って思ったときも、妥協の無い完璧な仕事をしたわけじゃなくて、”納得したうえで妥協をした”仕事をしたときだったりでね。結局なにかしら妥協してるなあと。
    ま、納得ずくでの妥協ってのは、そんなに悪い気はしないので、他人に妥協してもらうときも、できるだけ納得してもらった上で妥協してもらうよう日々努力していきたい所存でございますよ。
    煉獄は、数少ない妥協しない仕事だったかな。やりたいことは全部やらせてもらった感じだったんで。

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  2. >”納得したうえで妥協をした”仕事
    まさにその通りだよなぁ。俺も納得ずくで妥協するように、相手をさせるように努力をいたしますぜ。
    そういう妥協をいくつも積み重ねた上で成り立つのが人間関係だよなぁと思う。
    でも根が職人肌なのか、一人で妥協せずにやりてぇ、と思うことが多い。

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