2012年3月20日火曜日

服屋で死す

服屋が苦手だ。
 なんであんなに沢山あるのか、わけがわからない。
 今日は会社に履いていくズボン(これをズボンと呼ぶかパンツと呼ぶかもわからない)がへたってきたので、買いに行ったのだが、たくさん並んだズボンだかパンツだかを見ているうちに、死にたくなってきた。なんでそんなにあるんだ。

 僕の服を選ぶときの最優先事項は「無難」だ。ともかく、後ろ指をさされたり、石を投げられたりしなければ、それでいい。できるだけ他と同じで、目立たず、浮かず、あとから会った人が、あれ、あの人どんな服着てたかしら、全然覚えてないわ、と思い出せないくらいが、いい。できれば、あの人どんな顔だったかしら、とか、あの人いたかしら、とか、そもそもまったく知覚してないとか、そういうのがいい。たぶん僕のニーズに合うのは光学迷彩なんだと思う。
 もちろん僕だって人並みに、ちゃんとファッションを考えようと思った時期だってあった。服屋を巡って、値札で選別するのではなくて、まず服と対峙して、魂の語らいをしてみたこともあった。でもよくわからないのだ。一つ一つ違うことはわかるが、何がいいとかどれが好きかとかわからない。とりあえず無難なのが好き、という結論をなんとかねじ曲げ、(俺の好みはこういうのなんだ! こういうのが好きなんだ! これが俺の個性なんだ!)と一着を選んで買って愛でてみようと志すも失敗する繰り返し。
「あなた結局なんだっていいんじゃない! 世間体ばかり気にして、あたしのことなんてちっとも見てくれてないんじゃない!」という服たちの怨嗟。
 そうだよ。おまえを買ったのは世間体だよ。あと値段とサイズだ。俺は無難であればそれでいいんだよ。なんでいちいちデザインがどうとかコーディネートがどうとか考えなきゃいけねーんだよ。なんだっていいんだよ。「酷い!」服たちとのやり取りに心身が摩耗する。

 買った服は部屋の隅に重ねられ、上から取って着て洗濯してまた上に置くスタック構造をしているので一度下に重ねられた服は生涯地を這う。何年かぶりに遺跡から発掘してみるとろくに着ていないのにへたっていたり黴ていたりして大変嘆かわしい。コーディネートも一度決めると気分によって組み合わせるとかできない。異なる n 枚の服のから異なる m 枚の服を選ぶその組み合わせの数は膨大な数に上り、いちいち計算する精神力も評価する指標も僕は持ち合わせない。一度決めたらそれでいく。「いつも同じ格好してるよね」気にしない。洗濯はしてる。清潔が正義だと思う。

 服屋の大量の服に囲まれ、一枚一枚見ているとき僕は、都会の雑踏の只中でひとりぼっちみたいな、とても強い孤独感を味わう。チノ。ノータックチノ。ツータックチノ。細めのシルエットでも動きやすいストレッチチノクロス。タイトながらスタイリッシュに履きこなせるポケットパイピングショートチノ。わからない言語。なんでだよ。なんで何処にもズボンって書いてないんだよ。
 意味不明な亜空間の中で、普通に吟味している沢山の客たち。そしてその中で同じように振舞おうと躍起になっている自分。被服室で二度サイズに合わないなんとかチノに足を通した僕は、なんだかもうここにいることがいたたまれなくなってしまって、何も買わずに逃走した。

 なんかもう、29にもなるのになんなんだろうと自己嫌悪。日本が突然独裁政権になって、ファッションセンスの無い人から順に殺していきますとかいうことになったりしたらどうすればいいか見当もつかない。ケミカルウォッシュジーンズがオタクの印だという知識は2chで見て知っているので、ケミカルウォッシュジーンズを穿いたオタクたちが殺されている間に全力でファッションに関する知識を仕入れるしかないが、果たして生き残れるかどうか。
 興味ない人はこれを買ってね、っていう大量生産の標準服とか作ってほしい。着る人が1〜2割程度までいれば、特に着てても後ろ指さされることもないだろうし。

 もうほんと、いい加減にしてほしい。