2013年1月18日金曜日

挨拶の邪法

 この頃、部署の偉い人が変わって「この部署は挨拶ができていない」ということで、挨拶が推奨されるようになった。

 僕は挨拶が苦手だ。
 正確には、来たときの挨拶はいい。
 俺は仕事に来たぜ! と胸を張って、「おはようございます」と言える。

 問題は帰るときだ。
 僕の理想の帰宅の仕方は、皆に僕の存在など一顧だにさせることなく、空気のような、まるで最初からそこにいなかったかのような、流れるような帰宅なのだ。
「あれ? Varitraいないけど、もう帰ったの? 俺はまだ残ってるのになあ」
 というような人がいたときに、
「いや、むしろVaritraなんて奴はもともと、この会社に存在しなかったのでは?」
 と思わせるくらいに自然な帰宅を成し遂げたいと思っている。
 
 挨拶をするとなると、そうした理想が実現できなくなってしまう。
 社会に迎合すべきか、自分の理想を追い求めるべきなのか。


 そもそも「挨拶」という文化の由来を調べてみると、相手に対して「私はあなたに対して敵意がありませんよ」ということを伝えるためであるようだ。
 言葉で自分がいる位置を知らせて、「私はあなたを陰から襲う気はありませんよ」。手を上げて手のひらを相手に向けて、「私はこのように手に武器を持っていませんよ」と証明する。だから仲良くしてね、と伝えるのが起源だということらしい。


 けど僕はどちらかというと、「私はこのように手に武器を持っていません」と主張するような奴は、かえって警戒してしまう。

「おはようございます。私はあなたを陰から襲う気はありませんよ」
 まず確実にこいつは気を引くための陽動で、背後から別の暗殺者が狙っているのだろうし、

「はじめまして。私はこのように手に武器を持っていませんよ」
 かなり高い確率で手じゃないところに武器を隠し持っているのだろう。
 ズボンの下の脚首にナイフを括りつけていたり、靴の踵に飛び出し式ナイフを仕込んでいたり、武器の隠し場所というのはたくさんあるのだから。

 そうした意味で挨拶というのは本来、まず相手に壁を背後にとらせた上で、自分は相手からよく見える位置に立って、おもむろに服を脱ぎ、全裸になって、肛門など体内に武器を隠せるところをくまなく見せつけた上で、朗らかに笑いながら「おはようございます!」とすべきなのだろうがおそらく逮捕は免れないだろう。


 敵意がないことを証明するにしては、やっていることが中途半端。
 それなのにわざわざ挨拶をしなければいけないというのが、どうなのかなぁ、と思ってしまう今日この頃である。


 それでは今日はこのへんで。(全裸)

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